虹が晴れる

May everything be there.

2021年2月20日(土)文章

少し心が楽になってきたことを書いていたが、消して、いまこれを書いている。読んでもわからないことではなくて、読んだら書いてあることが理解できるものを書いておきたいからだ。

文を書くのは得意じゃない。仕事柄、文章をうまく書ける人だと思われるのも理解はできる。が、実際のわたしの文章は、こどもがおもちゃを乱雑にあれこれするようすに近いと思う。浮かんだことばをとにかくタイプしていく。頭で再生されることばの音を聞くのと同時につづきを書く。ツイートやブログはそういう書き方をしてきた。

その書き方がうまくいくときもあったのだ。早く書けたり、主観がそのまま漏れ出ることが吉な場面があったりするからだ。

でも、5年前くらいから、意識的に文章を変えたい意識がなんとなくながらあった、と思う。その頃はまだその意識を自分でうまく掴めないまま、違和感があるなかで書いていた。それが徐々に意識的になっていったんだと思う。

ゾーンとかモードという言葉がある。特定のことに脳がフォーカスすることで強い集中力が生まれるとき、のような意味だと思う。ときどき、そのゾーンとかモードに入れたときには、自分でも普段の自分とはちがう文章が書けるときもある。ただ、それも数回経験した程度だ。

特有のスタイルと流れるような滑らかさを持ち、意味と書き手の人物像が最大限に活かされた文章にあこがれる気持ちもある。けど、私はまず、考えをまとめて、ほかの人が読んでも解釈に違いが出ない文章を書けるようになるところから。

仕事以外だと、途端にぽんこつになるのどうしてなのかね。いま書いているこれも不安だ。