虹が晴れる

May everything be there.

望遠レンズ

日記に惹かれているのには、わたしの好みもある。

ここ7,8年くらい前だろうか、ていねいな暮らしというのが流行ったことがある。日の当たる落ち着いた部屋に、観葉植物やお気に入りの食器、ナチュラルな雰囲気とオーガニックな食事、それと自分だけの小物を飾る、みたいなやつだ。揶揄してるわけではなくて、ていねいな暮らしの言葉だけが確かなのだけど、その実態が掴めていないので、ふわっとしているだけだ。そういう、暮らしや日常を大切に思う気持ちというのは、どちらかと言えば好きなのだ。

部屋に差し込むひかりのつよさ、拡散の具合、階調はどれくらいか(いいひかりは、大抵の場合3分もすればなくなってしまう)。HomePod から haruka nakamura のミュートピアノソロを流す。自分の焦点距離が標準から望遠あたりに切り替わり、部屋の一角を切り取る。いい絵がみえたからカメラで同じように撮ってみる。アプリで注文したお花の定期便が届く。さっき書いたいわゆるていねいな暮らしほど豊かではない。けれど、よそ行きではない自分の部屋のあれこれが、カメラで切り取ったようなイメージになる。そういう瞬間はわたしの生活にもある。

でも、昨日書いた DPZ の古賀さんの日記のような、家族がある、とくにお子さんがいる生活には敵わないなあと、それを見るレンズが望遠になる。そう敵うことを望んでいるわけではないのだけれど。

自分でも日記を書いてみようかなと思うものの、ずっと家にいて、仕事をしていないわたしは、会話の量も少ない。人と話すのは、週に2度か3度くらいのものだ。いつか喋り方を忘れるんじゃないかと言いたくもなる。それでもそのうちに書けることも出てくるんじゃないかと思っている。

書くのは得意じゃないけど、好きになれそうな気がしている。