虹が晴れる

May everything be there.

2021年2月4日(木)まだまだ

睡眠スコアはいつもよりは良く、うまく回復できていてコンディションもいい。Oura のアプリがそう言っている。

天気もいい。部屋に入る光も多い。なんだか気分がいい。天気がいいとそれだけで活力が湧いてくる気がするのは、生まれながらに備わったものなのか、生まれてから埋め込まれたものなのか。

今日も午前中はRSSを読んでいく。翻訳アプリの精度があがったのか、英文を訳した日本語を読んでいても、以前にくらべて内容に集中できている気がする。ぎこちない訳文は、ぎこちない分を自分の脳をつかって理解できる内容に変換する必要がある。だから、その分は思考がそれに使われてしまい、内容に集中できなくなる。読む感覚もどこか落ち着かない気がするものだ。そういった負荷が減り、内容に集中して外国語の情報を得ることができるようになっていくのは、素晴らしいことだ。

午後、手懐けるのに手間取った原稿をまとめる。一度は区切りをつけたものの、眺めているうちに改良できる点が浮かび上がり、それぞれは細々したそれをいくつか進めていくと、全体がグッと引き締まっていくのがわかった。こういう地味ながらも着実に良くなり、次第に見違えるものへと変わる過程を手がけるのは嫌いじゃない。手懐けられていくとむしろ楽しくさえある。校了みたいな雰囲気を出しておいてまた手を加えてしまったことを関係者に伝える際の後ろめたさはあるものの、そういうときは内容が良くなるのだから許してねと少し甘えたようすでなんとなく乗り切るのだ。ズルいかな。

今日も散歩できた。明るいうちに南側へ。住宅地の途中に下り坂が現れ、近所にこんなに高低差のある地形があったのかとおもしろくなる。深い住宅地を幹線道路に抜け、ひたすら南下。40分ほどをかけて、はじめて訪れる街・駅へ。車がないと生活の成り立たない地方にあるような幹線道路、その脇にときどきある小さな車屋さん。時折にしか目にしないチェーン店に、さびれた家々と個人商店。駅に近くなっても歩いているのはお年寄りばかり。またもや「こんな東京もあるんだな」と、なぜか私は東京の想像と実像とを擦り合わせる癖がある。特段、東京に憧れがあったわけでもないが、画一的に想像する東京とこれまで自分が見てきた東京の実像から離れた知らなかった東京を、東京に住んで15年以上経ったいまになって感じることに、意外性を強く感じて、そう考えさせるのかもしれない。見えないルールが蔓延っているバスにびくびくしながら乗り、帰ってきた。

東京に暮らすぎこちなさは感じないが、手懐けられている気もしない。