虹が晴れる

May everything be there.

2021年2月3日(水)溝

9時間12分間ベッドにいて、7時間42分眠っていた。つまり1時間30分間は眠れておらず、それは夜を通して断片的に起こっている。ときどき目を覚ましながら眠っているということだ。

不眠は改善してきているとは思うのだが、9時間以上ベッドにいる贅沢な時間の使い方がいつまでできるかわからない。改善のための次の一手は見えているのだけど、もう少し粘りたい気持ちがある。

午前中、読み飛ばしばかりになっていたRSSをつまみ読みする。ニュースに戻る準備運動はいつはじめてもいい。すべてを取り込まなくてもいい。惹かれるものにそのまま、素直になればいい。1月の末くらいから、少し自分のスイッチが変わったところがあるようで、いまは次にやってみることの準備運動をはじめたところだと思っている。わたしの2021年は素直でいることが大切らしいので、自分からの流れるままに、やってみようと思う。

午後はなんてことはないはずなのに、手がついていなかった事務仕事をした。かんたんなことにも手が動かなくなっているのが、知らせなんだろう。でも手を動かしはじめたらしっかり済ますことができた。いいぞ。

そのあとはお仕事をご一緒している方々と意図的につくったおしゃべりをし、日の高さと寒さを心配しつつ、今日も散歩へ。今日は昨日とはちがう方向を攻めてみた。これまでに歩いたことがある限界点の交差点を超えて、その先へ。共同農場?の畑や、昨日のところより古い雰囲気の住宅地、線路をまたぐ橋を超えて、駅方面へ。帰りにスーパーで買いものもした。

ここ数ヶ月、人って本当にそれぞれだと、深く思う。近しい考えを持っていそうな人でも思考のクセや捉え方はちがうし、当然これまでに見てきたものもちがうのだ。近しい考えを持っていると思っているのはこちらだけで、相手側の解釈はちがうなんてこともある、というかほとんどがそうなのだろう。それに土台となる考え方がちがうことも多い。というかこれもほとんどがそうなのだろう。生まれ育った環境や思考のクセがちがえば、その数だけの世界があるのだ。極端だが、この世界には自分のやり方を押し通すためなら、組織やチーム、そこに属する個人をナイフで刺して自分だけ生き残り、目的を達成する。そんなやり方すら当然だと考えている人もいるのだ。ここではその行いを非常識な酷いことだというニュアンスで書いているが、それはこちら側の解釈であって、多くの人はそう考えてはいないのかも、いや、きっとそう考えてはいないのだ。そう考えを強くするほどに、自分と世界の差の自己認識がズレていたのかもしれない。そんなふうに思う。

うたの中なら美しく暈せば済んだ「言葉にならない」を今コトバにするんだ

It's A New Day / Mummy-D