虹が晴れる

May everything be there.

Twitterとイーロンがしんどい

先週の木曜日からの報道がしんどい。いや、すでにかなり前からしんどい状態は過密になるばかりだった。それがさらに加速した。

でもTwitterの行く末はいまのインターネットにおいて重要すぎるのだ。だから、フィードで無視しつづけようにも、それ自体が辛さになるのです。だから、せめて少しでも気の向いたときに、信頼できる場所のものだけを読んでいます。

この息苦しさはいつまでつづくのでしょうか。もはやわたしたちが言っている「インターネット」のフレームを手に持っていたくない、そんな気にすらなるのです。

VR・AR、Web3、コイン。もはや拒否しつづけて長いので、これらの言葉づかいすら適当でないかもしれない。そういうものしかないのでしょうか。もしくはメディアやクリエイティブがどうあれ、それを気にせず「買う」人たちへのシグナルでしかないコマースでしょうか。

なにか新しいものが出てくるんじゃないか。問題があるだけ課題があり、行動する人もいる。だから何か変わるんじゃないか。そんな考えはゼロではありませんでした。しかしこの3年、何も変わっていません。むしろ後退しているように捉えられます。

こういった不満が自分のなかで湧き上がるたびに、できるだけ見ないようにしています。そのたびに何か発信していたらそれがまた黒い煙のようになってしまいます。

これはここに置いておくままにします。