虹が晴れる

May everything be there.

足場にジャンプをくりかえす

ゲームをレビューすることは豊かなことだと思う。Forspokenというゲームのレビューを読んだ。書いたのはASH PARRISHさん。この方の書いたものをわたしが読むのははじめてだと思う。レビューは主役フレイへのASHさんの共感をゲームとの起点に、ストーリーが評価されている。とくにエンディングがよかったらしく、ASHさんは「私という人間とフレイというキャラクターに完全に合致していた([...]the ending I chose (there is more than one) was fantastic and totally in line with me as a person and Frey as a character.)」と書いている。

パンデミック以降、自分と関わりのあるものが極端に減っている気がする。寂しいし、一般的に必要なもの、客観的には必要ではないが自分は必要とするものだけになっていることが、自分にとって今後も有益なのかどうかは疑わしい。そう感じるなかで、自分が世界と関わりをもつきっかけになるものは多くない。昔の2Dマリオを遊んだことがあるだろうか。ゲームが中盤になると、足場になる横幅が1マスしかない縦棒のブロックがつづく場面がある。マリオは落下しないようその1マス目掛けて慎重にジャンプをくりかえす。決して安定している進路とはいえないが、彼にとってはそれが先に進む唯一の手段だ。そしてこれはASHさんにとっても、わたしたちにとっても同じことだと思うのだ。進みたい方角にある足場に、足をつけたい足場に、ジャンプをくりかえすしかない。ジャンプには危険がある。だが、そういうことだ。

https://www.theverge.com/23564532/forspoken-review-ps5-square-enix